巡る世界遺産ノート

ノイシュヴァンシュタイン城はなぜ世界遺産? ルートヴィヒ2世の4つの宮殿と、登録基準 (iv)

登録名
バイエルン王ルートヴィヒ2世の宮殿群:ノイシュヴァンシュタイン、リンダーホーフ、シャッヘン、ヘレンキームゼー
The Palaces of King Ludwig II of Bavaria: Neuschwanstein, Linderhof, Schachen and Herrenchiemsee
国
ドイツ
区分
文化遺産
登録年
2025年
登録基準
(iv)
UNESCO の ID
1726

動画:YouTube「ずんだもんと巡る世界遺産」で見る

ドイツ南部、バイエルン州。アルプスのふもとの岩山に、白い城が建っています。ノイシュヴァンシュタイン城です。フロリダのディズニーのシンデレラ城を設計したハーバート・ライマンは、この城などヨーロッパの城を参考にしたとされています。

2025年、この城を含むバイエルン王ルートヴィヒ2世の4つの宮殿が、世界遺産になりました。登録の理由になったのは、19世紀の建築の見本としての姿です。ディズニーとのつながりは、審査で理由として認められませんでした。

マリエン橋から見たノイシュヴァンシュタイン城と、その先に広がる平野

マリエン橋から見たノイシュヴァンシュタイン城(2025年8月)

世界遺産になった理由

登録名は「バイエルン王ルートヴィヒ2世の宮殿群:ノイシュヴァンシュタイン、リンダーホーフ、シャッヘン、ヘレンキームゼー」(The Palaces of King Ludwig II of Bavaria: Neuschwanstein, Linderhof, Schachen and Herrenchiemsee)。ドイツの文化遺産で、UNESCO の ID は1726です。2025年7月にパリのユネスコ本部で開かれた第47回世界遺産委員会で登録されました。

構成資産は次の4つで、どれもアルプスとそのふもとにあります。離れた場所をまとめて1件とする、シリアル・ノミネーションの遺産です。

  • ノイシュヴァンシュタイン城
  • リンダーホーフ城と、その庭と公園
  • シャッヘンの王の家
  • ヘレンキームゼー新宮殿と、その庭

登録基準 (iv):19世紀後半の建築を伝える見本

登録基準は (iv) のひとつだけです。文化庁の訳では「歴史上の重要な段階を物語る建築物、その集合体、科学技術の集合体、或いは景観を代表する顕著な見本である。」。4つの宮殿は、このうち「歴史上の重要な段階を物語る建築物、その集合体」に当たります。

UNESCO の説明では、4つの宮殿は、一つひとつでも、4つ合わせても、19世紀後半にはやった建築の流れを表しています。とくに挙げられているのが、昔の様式を手本にする歴史主義と、いくつもの様式を組み合わせる折衷主義です。王の細かな指示で建てられ、美しさと大きさと豪華さを備えた総合芸術作品で、舞台のような演出をもつこと、保存の状態がとてもよいことも書かれています。

概要によると、この総合芸術作品をつくるために、いちばんの芸術家と職人、そして最新の技術が集められました。手本になったのは、ヴァルトブルク城、ヴェルサイユ宮殿とその庭、ワーグナーのオペラなどです。

推薦は5つ、認められたのは (iv)

ドイツは、(i)(ii)(iii)(iv)(vi) の5つの基準で推薦していました。文化遺産を評価する ICOMOS は (iv) だけを認めて登録を勧告し、世界遺産委員会も (iv) で登録しています。

推薦の中でドイツは、4つの宮殿が映画やテーマパークの建物の先がけだとも訴え、例にウォルト・ディズニーを挙げていました。ICOMOS は、この主張は関係する研究と分析で裏づけられていないとしています。推薦のときの名前には「– From Dreams to Reality(夢から現実へ)」という言葉もついていましたが、ICOMOS の勧告を受けて、委員会が外しました。

城を建てた王

ルートヴィヒ2世は1845年8月25日に生まれ、1864年、18歳でバイエルンの王になりました。子どものころの夏は、父マクシミリアン2世が建て直したホーエンシュヴァンガウ城で過ごしています。この城には白鳥の騎士ローエングリンなどの中世の伝説が描かれていて、王は幼いころから、ローエングリンに自分を重ねていました。

ふもとの村から見上げたホーエンシュヴァンガウ城

ふもとの村から見上げたホーエンシュヴァンガウ城(2025年8月)

王は作曲家ワーグナーの作品に夢中で、即位してすぐにワーグナーをミュンヘンへ招きました。転機は1866年です。オーストリアの側についたバイエルンは、プロイセンとの戦争に敗れました。城を管理するバイエルン州宮殿管理局は、このあと王が戦争のときに軍を動かす権利を失い、1867年から、本当の王でいられる自分の王国を、城や宮殿の形で計画し始めたと説明しています。

ノイシュヴァンシュタイン城の礎石がすえられたのは、1869年9月5日です。城の姿は、劇場の舞台の背景を描く画家クリスティアン・ヤンクの絵をもとに、建築家エドゥアルト・リーデルが設計しました。王自身はこの城を「新しいホーエンシュヴァンガウ城」と呼んでいて、ノイシュヴァンシュタインという名前は、王の死後についたものです。

クリスティアン・ヤンクが1869年に描いた、城の構想画

クリスティアン・ヤンクが描いた城の構想画(1869年)

一方、リンダーホーフ城とヘレンキームゼー新宮殿は、フランスのヴェルサイユ宮殿をお手本にしました。ヘレンキームゼー新宮殿は王の事業でいちばん大きく、費用は、ノイシュヴァンシュタイン城とリンダーホーフ城を合わせたより多かったといいます。

やがて外国の銀行が、王の財産の差し押さえを迫るようになります。1886年6月、政府は王を、国を治められないとして退けました。6月13日、王はシュタルンベルク湖で亡くなります。宮殿管理局は、その状況を「なぞの多い」と書いています。

中世の姿に、当時の新しい技術

ノイシュヴァンシュタイン城は、外から見ると中世の城です。ところが中には、当時の新しい技術が入っていました。宮殿管理局によると、王の部屋は温風で暖められ、どの階にも水道が通っていました。自動で水が流れるトイレがあり、3階と4階には電話もありました。王の玉座を据える広間は、すでに建っていた本館の中に、鉄骨を組んで造られています。

城の中庭から見上げた、階段状の切妻と時計のある門の建物

城の中庭から見上げた門の建物(2025年8月)

それでも、王が亡くなったとき、仕上がって家具が入っていた部屋は十数室でした。王はこの城を、工事中の姿でしか見ていません。工事は王の死で止まり、城はまもなく一般に公開されました。人目を避けるための城に、大勢の人が来るようになったのです。

リンダーホーフ城とヴィーナスの洞窟

宮殿管理局は、リンダーホーフ城を、王が完成を見とどけたただひとつの大きな宮殿と紹介しています。設計のもとは、18世紀半ばのルイ15世の時代のロココ様式と、ヴェルサイユ宮殿です。宮殿の北の斜面には、大理石の30段のカスケード(水の階段)があり、その下にネプチューンの噴水があります。

庭の奥のヴィーナスの洞窟は、1875年から77年にかけて、王のためだけに造られた人工の洞窟です。ワーグナーのオペラ『タンホイザー』第1幕の舞台を再現しました。1878年から1881年にかけて電気の照明が入り、洞窟は赤や青に照らされます。そのために、世界で最も早い発電所のひとつが造られました。湿気で傷んだ洞窟は、2015年から2025年まで、およそ10年かけて修復されています。

リンダーホーフ城のヴィーナスの洞窟と、貝の形の小舟

ヴィーナスの洞窟(2009年、Bjs 撮影)

シャッヘンの王の家は標高1,866メートルの山の上にあり、外は山小屋風の木造、2階はトルコ風の豪華な広間です。ヘレンキームゼー新宮殿には、ヴェルサイユ宮殿にならった鏡の回廊があります。

観光客と城のこれから

ノイシュヴァンシュタイン城には、毎年100万人をこえる人が訪れます。宮殿管理局は、大勢の人の出入りと、山の気候や光が、家具や布に大きな負担をかけていると書いています。

世界遺産委員会は、大勢の観光客による影響をおさえる計画を、最優先で作って実行するよう勧告しました。ICOMOS の評価書によると、城のあるシュヴァンガウの住民投票では、推薦に反対する人も少なくありませんでした。城では、ネットでの予約などを使って、訪れる人を減らし、1年の中に散らす取り組みを進めています。

現地で見たもの

私が2つの城を訪ねたのは、2025年8月です。登録から1か月ほどあとでした。

朝8時半ごろ、まずリンダーホーフ城へ。9時すぎ、宮殿の前の池から噴水が高く上がりました。宮殿の北の庭にまわると、花の模様の庭の先に、カスケードとネプチューンの噴水が見えました。

昼すぎには、ノイシュヴァンシュタイン城のあるシュヴァンガウへ移りました。畑の向こうの山の中腹に、白い城が小さく見えました。

シュヴァンガウの畑の向こうの山に、小さく見えるノイシュヴァンシュタイン城

シュヴァンガウの畑から見た山と城(2025年8月)

14時ごろにふもとの村に着き、15時ごろにマリエン橋へ。マリエン橋は、ペラート渓谷の上にマクシミリアン2世が1840年代に架けた橋です。谷の向こうに、城の全体と、その先に広がる平野が見えました。

16時ごろには城の中庭へ。城の中では、写真や動画を撮ることが禁じられているので、私の写真はどれも外で撮ったものです。城のそばから湖を見下ろし、17時半すぎにふもとの村へ戻って、山の上の城を見上げました。

城のそばから見下ろした湖と村、その先の山並み

城のそばから見下ろした湖と山並み(2025年8月)

行き方

ノイシュヴァンシュタイン城へは、電車でフュッセンへ行き、バスでホーエンシュヴァンガウへ向かいます。ふもとの村から城までは、急な坂道を約1.5キロ、歩いて30〜40分です。馬車もありますが、城の手前で降りて歩きます。

リンダーホーフ城へは、電車でオーバーアマガウへ行き、9622番のバスに乗ります。今回は、朝にリンダーホーフ城、午後にノイシュヴァンシュタイン城と、1日で2つの城を巡りました。

以下は2026年10月の時点の情報です。

  • ノイシュヴァンシュタイン城の入場料は、2026年は大人21ユーロ(割引20ユーロ)、18歳未満は無料
  • 入場券は、ホーエンシュヴァンガウのチケットセンターか公式のネット販売で買います
  • 城の中はガイドツアーでだけ見学でき、約30分。日本語の音声ガイドがあります
  • リンダーホーフ城の入場料は、2026年は宮殿が大人11ユーロ。宮殿とヴィーナスの洞窟は、ガイドツアーで見学します

動画で見る

この記事の内容は、YouTube の動画でも紹介しています。

シンデレラ城のモデルと言われる城は、なぜ世界遺産?|ノイシュヴァンシュタイン城を巡る(2025年登録)(YouTube「ずんだもんと巡る世界遺産」)

出典

閲覧日はいずれも2026年10月11日です。

写真

※この記事は、ディズニー社・オリエンタルランド社とは関係ありません。

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世界遺産検定の公式テキスト(2025年に登録されたルートヴィヒ2世の宮殿群も載っています)

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